雑記 2016年5月

2016-05-01 (日)

初めてづくしの仙台見物。エスパルってあんなに巨大だったのか……。仙台の牛タンというものをおそらく生まれて初めて食べた。焼きたてはうまい。

定禅寺通の欅並木を眺めつつ せんだいメディアテークへ。仙台駅から勾当台公園まで地下鉄に乗ってみた。営団地下鉄のサインシステムに似た案内表示がいいセンスだなと思った。「ゴシック4550」,好きなフォント。メディアテークは雨のためか人が少ないようだった。こんな贅沢な施設をふらりと利用できる市内の学生がうらやましい。7Fで開催していた震災関連の写真展「ラウンジ展 定めた点から観て測る(2016春)」を鑑賞。

何年ぶりかで幼馴染みと飲む。やはり人生の話。いい店を知った。終電に滑り込んで帰宅。


仙台は地元から電車で1時間半ほどかかり,遠いのでなかなか行かないのだが,歩いてみるといい街で,住みたくて仕方ない。当たり前だが東京と比べると全てにおいて空間の余裕があって落ち着く。

2016-05-02 (月)

松尾豊『人工知能は人間を超えるか――ディープラーニングの先にあるもの』(角川EPUB選書)読了。まさに今読むべき本,という感じの良書だと思った。

2016-05-04 (水)

帰京。

坂井豊貴『多数決を疑う――社会的選択理論とは何か』(岩波新書)読了。個人的なGW課題図書。多数決の弱点(票の割れに弱い,など)は誰しもうすうす感じているところだが,対案が具体的に説明されていて面白かった。というより多数決がダメすぎて目から鱗だった。ルソーの社会契約論が云々という私の嫌いな分野(「社会科」全般が嫌い)の話もあったが,あくまで地に足の着いた語り口だったので助かった。

多数決という意思集約の方式は,日本を含む多くの国の選挙で当たり前に使われている。だがそれは慣習のようなもので,他の方式と比べて優れているから採用されたわけではない。そもそも多数決以外の方式を考えたりはしないのが通常だろう。だが民主制のもとで選挙が果たす重要性を考えれば,多数決を安易に採用するのは,思考停止というより,もはや文化的奇習の一種である。(第1章)

2016-05-05 (木)

池袋にて,ブルーメンフィルほかによる「千人の交響曲」演奏会(主催:認定NPO法人おんがくの共同作業場)を鑑賞。なかなか聴けない曲。巨大だ。

2016-05-08 (日)

青砥にてクラシカの練習。

2016-05-13 (金)

健康診断で人生初バリウム。ビクビクしていたが思ったより全然大したことなかった。体重増えてなくてよかった。終わったあとに食事まで付いていた。

2016-05-21 (土)

住吉にてセレーナの今シーズン初練習。そのあと築地にてクラシカの練習,中田さんの初合奏。やっぱりフィンランディアは名曲中の名曲だな……。

テレビで映画「海街diary」鑑賞。失礼ながら特に興味なかったが,観てみたら結構よかった。是枝裕和監督だったのか。是枝監督は会話の一つ一つが結構断片的であっさり終わらせる(場面自体は長かったとしても)ような気がする。考えてみれば親族の会話ってそんなもんかもなと思った。音楽に頼らない静かなシーンが多いのがいい。今回は新作「海よりもまだ深く」公開に合わせた放送だったようである。調べてみたら新作の主人公はまた「良多」(「歩いても歩いても」「そして父になる」と同じ)でまた阿部寛だった。これは観るしかないのでは。樹木希林もまた出ている。是枝監督にとっての樹木希林は荻上直子監督にとってのもたいまさこみたいなポジションなのかもしれない。

2016-05-22 (日)

東陽町にてクラシカの練習。ミサ曲のソリスト合わせ。素晴らしかった。

アルトトロンボーンの音程が取れなくて苦労している。

2016-05-27 (金)

Apache Sparkで書いていたアプリがなんとか動く目処が立ってすっきりした週の終わり。あとはEMRでどれくらい性能が出るかだな。

仕事上がって,とある芝居を観に行ったが,期待外れでがっかり。前から知っている劇団で,過去にはなかなかいい公演もあったのだが,今回は脚本家の悪いところが出てしまった感じがする。劇中,どう見ても冗長じゃないかと思われるシークエンスが3つ4つあり,これをなぜこのまま本番にかけてしまっているのか不可解だった。口数が多いわりに内容が深いわけでもなく,であればもうちょっと引き算をしてほしかった。

2016-05-28 (土)

住吉にてセレーナの初合奏。シューマン2番難しいなあ(トロンボーンはともかく……)。

2016-05-29 (日)

Tさん宅でアルスの選曲会。ジャズを交えたプログラムを作ろうとするとアイデアが浮かばない。

2016-05-30 (月)